大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)2365号 判決 1980年8月05日

被告人 甲斐亥一 大下八郎

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、各被告人の弁護人田口邦雄、同清水利男、同久木野利光及び同安藝勉が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事中野林之助が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意第一(審理不尽による理由不備の主張)について

所論は、要するに、原審裁判所は昭和四八年一〇月九日東京都大田区大森西五丁目一〇番一二号医療法人財団東京厚生会大森病院において発生した火災(以下本件火災という。)の出火場所、出火原因、火源、可然物等について十分な審理を尽さず、明確な証拠がないのに本件火災が被告人らの行為によつて発生した旨の事実認定をしたものであつて、原判決には審理不尽に基づく理由不備の違法がある、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討すると、本件火災は、右大森病院旧館(鉄筋コンクリート造り六階建一部三階建)五階の同病院長徳山代之及びその家族の住居において発生したもので、同五階には居間、寝室、食堂、子供部屋等がありその東北角に間口約〇・七一メートル、奥行約〇・八メートル、高さ約二・〇三メートルの北向き出入口が設けられ、同所北側から仮設鉄骨製の外階段に通じていたものであり(なお右出入口の北側にはドアはなく、南側に内開き木製ドアがあつた。)、被告人両名は、同病院旧館三階屋上から四階、五階、六階各入口に通じる右鉄骨階段を解体すべく、共同してその作業に従事していたものであるところ、原判決は、被告人らが当日午前中右階段六階入口付近の鉄製手すり及び同階段の囲いのトタン板のうち六階部分及び五階部分の一部を取り外したあと、午後一時一〇分ころから午後二時四〇分ころまでの間において、同階段上部覆いのトタン板及びこれを支持している鉄骨(通称ライトゲージ)を取り外すべく、アセチレンガス及び酸素を用いこれを溶断用バーナーで混合燃焼させる方法により、右トタン板を留め支えているフツクボルト及び右ライトゲージを溶断する作業を行つた際、加熱された溶断鉄屑(いわゆる湯玉とかすを含む。)が、コンクリート敷の床上にじゆうたんを敷きその上に書籍入りの段ボール箱などが積み重ねられていた前示の五階出入口内に飛来し、右段ボール箱等に着火し、午後二時四〇分ころ発煙発火するに至つた旨の事実を認定し、なお補足説明として、本件火災の出火場所は旧館五階出入口の東南隅の床上付近であると認められること、本件火災の原因が電気・ガスの事故や薬物の自然発火によるものである可能性は全くなく、たばこの火についても本件火災の原因となり得ないものと認められ、結局被告人らの溶断作業による溶断鉄屑以外に本件火災の原因となり得たものは無かつたものと認められること、本件火災は被告人らが当日午後一時一〇分ころから午後二時四〇分ころの間に行なつた前叙のフツクボルト及びライトゲージの溶断作業の際に飛散した溶断火花が五階出入口東南隅の段ボール箱と東側ベニヤ板壁の間の床上又は段ボール箱と南側幅木の間の床上に落下し、段ボール箱、じゆうたんなどの可燃物に着火して燃焼したことによつて発生したものと認められること等の説示を加えている。

ところで、所論は、「原判決は、いわゆる火災原因の消去法により、残つた原因すなわち被告人らの溶断作業から生じた溶断火花以外に本件火災の原因となり得たものがないと判断しているが、右の消去法は万能ではなく欠点のある調査法であるから、溶断火花を本件火災の原因と特定するためには、他の火災原因の排除を慎重になすべきことはもちろん、さらにいわゆる再現実験を行い、溶断火花(火源)の出火場所への飛来の可能性、その着火能力の有無、可燃物の種類形状、火源と可燃物との間に存する定量関係などを科学的に究明することが必要であるのに、原審裁判所は、再現実験を行わないで一方に溶断火花があり他方に段ボール箱等の可燃物があつたから本件火災が発生したという単純な推論により安易に本件火災原因を認定したものである。」と強調する。しかしながら、原判決は、所論がいうような溶断火花と可燃物の存在及び他の火災原因の不存在のみを理由にしているのではなく、現に加熱された溶断鉄屑が旧館五階出入口内に飛来していること、同出入口内に可燃物があつたこと、現に同所から火災が発生していることなどの現実を重視し、これに他の火災原因は全く認め得ないことを併せ考慮して、溶断火花が本件火災原因であると認定していることはその判文自体から明らかであり、これらの条件が揃えば、右のように認定するのが通常であつて、決して不自然、不合理なことではない。そして、原判決挙示の関係証拠によれば、右の諸条件は優にこれを肯認できるから、原判決の判断は相当であり、原判決に理由不備の違法はないというべきである。また、所論の主張する火災原因の科学的究明の必要性、再現実験の有用性は、当裁判所もこれを否定するものではないが、原判決が説示するように、火災の発生は極めて多くの要因の組合せからなるものであり、その要因の全てを的確に把握することが甚だしく困難であり、これが判明している場合においてもこれらの要因の組合せは殆んど無限に存するのであるから、その中の限られた組合せのみの実験を行つて着火の可能性の有無を的確に判定することは必ずしも容易でないと考えられ、他方火災発生のメカニズムの全てが完全に解明されなければ何が火災原因であるかを十分に把握できないというような場合は別にして、それがなされなくても火災原因を十分に特定し得るような場合には、火災発生のメカニズムの一部に不明な点があつても、その究明は必ずしも必要でないというべきであり、このような観点から本件をみると、原判決が可燃物の一つとして段ボール箱をあげ、これに直接着火したかのようにいう部分は、原判決挙示の関係証拠から果してそのように認定し得るかどうか若干疑問が残るけれども、前叙のとおり溶断火花を本件火災原因と特定するに足りる諸条件が揃つていることにかんがみると、右疑問点の解明は必ずしも必要でなく、その他所論のいう再現実験を必要とすべき特別の事情を認め難いから、これを行わなかつた原審裁判所の態度を目して不当であるということはできず、原判決には審理不尽の違法もないというべきである。以上の次第で、審理不尽による理由不備を主張する所論は理由がないが、なお所論にかんがみ以下個別的に若干付言する。

一  所論は、原判決が旧館五階出入口の東南隅の床上付近を出火場所と認定している点に関して、「原判決は、右認定の有力な証拠として右と同趣旨の結論をとる消防司令補佐々木轟能進作成の火災原因判定書謄本を掲げているが、同判定書によれば、右出入口南側に設けられた二枚の当て板からなる戸受けの幅木が内側から焼け始めているというのであるから、むしろこの二枚の当て板の間の溝状部分を出火場所と認定するのが合理的であると考えられるのに、原審裁判所は、出火場所について十分な審理をせず、安易に同判定書の結論のみを採用して右と異なる認定をしたものである。」と主張するが、右判定書は、所論指摘の事実のほかにも二枚の当て板とも東端が燃え切れていてその部分の燃焼度が最も激しいことなどを考慮して、出入口東南隅から出火したものと判定したのであり、さらに当て板の溝状部分は木質であつて着火しにくいのに対し、出入口床上にはじゆうたんや段ボール箱があり、これらのほうが、より着火しやすいことをも併せ考えれば、出入口東南隅の床上付近を出火場所としたその判断は相当であると認められ、原判決には、右判断の基礎となつた諸事実を明らかにする関係証拠も掲げられているのであるから、原判決が同判定書その他の関係証拠を総合し同趣旨の認定をしたことに何ら不合理とすべき点はない。それゆえ所論は採用することができない。

二  所論は、本件火災原因に関して、「本件火災に際して焼死した病院長の次女徳山之子が自殺の手段として放火したことを疑わせる種々の事実が存し、本件火災の原因として放火の可能性も考えられるのに、原審裁判所は、同女が焼死するに至る経緯などについて何らの審理もしていない。」と主張するが、原判決挙示の関係証拠からは、同女が放火したことを窺わせるような事情は全く認められないから、原審裁判所が同女焼死の経緯などについて特別の審理をしなかつたからといつて異とするに足りず、所論は採用することができない。

三  所論は、本件火災の着火物に関して、「原判決は、段ボール箱、じゆうたん等の可燃物に着火したものと認定しているが、段ボール箱の素材、素材の組合せ、箱の形状、じゆうたんを織りなす素材、素材の組合せの有無、織り方、毛足の長短などは当然着火しやすいか否かの重大な要因をなすので、この点について慎重に審理すべきであるのに、原審裁判所は、本件火災の経済的被害者である徳山代之が提出した段ボール箱(原審昭和五〇年押第一二七三号の一〇)を旧館五階出入口内にあつた段ボール箱と同一規格の物であると安易に即断し、またじゆうたんについては検察官に対する提出命令により容易に証拠物としてこれを取調べることができたのに、そのような措置にも出ていない。」と主張するところ、原審押収の段ボール箱は、右徳山が原審第九回公判に証人として出廷した際に、以前から同人方にあつたといつて持参したものであり、それが本件火災現場に置かれていた段ボール箱と同一規格の物である旨の同人の証言は自然であつて首肯できるものがあり、同人の本件に対する重大な利害関係を考慮しても同証言を採用することが不合理であるとはいえないから、この点に関する原判決の判断は相当であると認められ、他方、司法警察員作成の昭和四八年一〇月二一日付実況見分調書によれば、本件火災の翌日行われた実況見分の際に証拠物件として領置された物は、溶断鉄屑とスタイロホーム(発泡スチロール断熱材)のみで、段ボール箱及びじゆうたんが領置された形跡は全くないのであるから(当審における検察官の釈明によつても、現に領置されていないと認められる。)、原審裁判所にそれらについて証拠物としての取調を要求するのは難きを強いるものであり、したがつて、所論は採用することができない。

四  所論は、溶断鉄屑に関して、「原判決は、旧館五階出入口内から採取された溶断鉄屑のうち最大のものは、出入口北側床上から採取されたそれであり、この溶断鉄屑は不整形であつて目測するとほぼ四ミリメートル×二・五ミリメートル×二ミリメートルの大きさがあるとし、これが本件火災の重要な要因をなしたと認定しているものと推測されるが、右のような溶断鉄屑の存在を窺わせるのは、消防司令補佐々木轟能進作成の現場見分調書謄本添付写真五七番のみで、他に確たる証拠はないから、原判決の右認定は不合理であり、またその現物の取調は検察官に対し提出命令を発することによつて十分可能であつたことからみて、原審裁判所の審理には重大な審理不尽の違法がある。」と主張するが、原判決は、押収してある溶断鉄屑のうち原審昭和五〇年押第一二七三号の二の溶断鉄屑一個を最大のものと説示しているのであつて、それが証拠物として取調べられていないとの所論には誤解があると認められ、また原審第九回公判調書中の証人田村嘉久の供述記載、司法警察員作成の昭和四八年一〇月二一日付実況見分調書、警視庁科学検査所主事宮野豊作成の鑑定書を総合すると、右溶断鉄屑一個は、警視庁所属の田村嘉久ら捜査員によつて旧館五階出入口北側部分の床上(じゆうたんの上)から採取され、警視庁科学検査所主事宮野豊が重量約〇・〇八一グラムで不整形であると鑑定した溶断鉄屑と同一物であることが認められ(所論指摘の写真に写つている溶断鉄屑も同一物であると思われるが、若しそうだとすると、それを前示の幅木の溝状部分から採取したとの写真説明は正しくない。)、したがつて、原判決の、それが出入口北側床上から採取されている旨の判断も相当であるといえるから、所論は採用することができない。なお、原判決が右の旧館五階出入口北側部分から採取された溶断鉄屑に触れているのは、これをもつて本件火災の直接原因と判断したものではなく(もしそうとすると、出火場所は同出入口の東南隅の床上付近であるとの認定と矛盾する虞れが生ずる。)、「溶断鉄屑などが五階出入口内に飛来することはあり得ない。」旨の原審弁護人の主張に対し、現に多数のそれらが飛来していることを示すため、その一例として右溶断鉄屑についても言及したものであつて、それ自体によつて可燃物に着火したとまでは判断していないことは判文上明らかであり、この点に関し原判決の判示に矛盾はない。

五  所論は、スタイロホームに関して、「原判決は、旧館五階出入口に積まれた段ボール箱の外側にスタイロホーム二枚を重ねて立てかけてあつたこと、そのスタイロホームの破片(原審昭和五〇年押第一二七三号の一三)に大小多数の焼け穴がありその一部の穴の奥に鉄屑が見られることをもつて、多数の溶断火花が出入口内に飛来したことの有力な証拠としているが、スタイロホーム二枚が立てかけてあつたとの点は証拠上その証明が十分でなく、これを断定するためには、裁判所が溶断火花の飛散状況などにつき専門的知識を有しないのが通常であることに照らして、焼け穴の存在、位置、形状、方向及び角度について専門家による鑑定を行う必要があるのに、原審裁判所はこれを怠り、漫然とスタイロホームが立てかけてあつたとの事実を認定したものであり、また仮にこの点に関する原判決の認定が正しいとしても、スタイロホームに存在すると認定された焼鉄粒の個数、形状、大きさなどが明らかにならなければ、溶断火花の着火能力も明らかにできないはずのものであるところ、原審裁判所は、焼鉄粒の大きさなどについて審理を尽していない。」と主張するところ、五階出入口北側にスタイロホームが立てかけられていたかどうかの点については、のちに控訴趣意第二に対する判断を示す際に詳述するが、要するに、所論主張のような鑑定を行わなくても原判決挙示の関係証拠によつてこの点を優に肯認することができるし、また焼け穴の一部に見られる鉄屑の個数、形状、大きさなどを明らかにすべきであるとの点も、前叙のとおり溶断火花を本件火災原因と特定するに足りる種々の条件が揃つていることと対比して考察すると、必ずしもその必要はないと認められるから、所論は採用することができない。

六  その他所論は、溶断火花が旧館五階出入口内に飛来する可能性は実験上極めて少ない旨の大阪大学工学部講師中西実外二名作成の鑑定書(以下中西鑑定という。)及び本件溶断鉄屑によつては実験上段ボール箱、じゆうたんなどに着火しない旨の横浜国立大学工学部助教授上原陽一作成の鑑定書(以下上原鑑定という。)の各信用性を原判決がいずれも否定した点について、種々の理由をあげて審理不尽を主張しているが、その理由は畢竟、専門的知識に乏しい裁判所が再現実験も行わずに専門家作成の鑑定書の証明力を否定するのは不当である、というものであるところ、本件において所論のいう再現実験が必ずしも必要でないことは前叙のとおりであり、しかも原判決は、中西鑑定及び上原鑑定が行つた各実験においては本件火災発生時の状況が忠実に再現されていないことを主たる理由にして、各鑑定の信用性を否定したものであり、原判決挙示の関係証拠に照らすと、原判決の右判断は概ね相当であつて、特に不合理な点は認められないから、所論は採用することができない。

以上論旨はいずれも理由がない。

第二控訴趣意第二(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は本件火災の出火場所、出火原因等の認定について採証を誤り、本件火災が被告人らの行為によつて発生した旨の事実認定をしたものであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、原審及び当審で取調べた各証拠に基づき検討すると、本件火災が被告人らの溶断作業によつて発生したとの原判決認定事実は優にこれを肯認することができ、そのほか右認定をなすに至つた理由に関する原判決の説示も概ね相当であつて、原判決に事実誤認はないものと認められる。以下所論にかんがみその指摘する問題点について順次検討する。

一  所論は、本件火災の出火場所は旧館五階出入口の東南隅の床上付近であるとした原判決の認定には事実の誤認があると主張する。しかしながら、原審第七回公判調書中の証人大矢幸二、証人井嶋潤、同第一四回公判調書中の証人唐沢孝之、同第一五回公判調書中の証人蛯名良助、同第一六回公判調書中の証人北村壽宏の各供述記載、証人蛯名良助に対する原審裁判所の尋問調書、司法警察員作成の昭和四八年一〇月一一日付及び同月二一日付各実況見分調書(以下前者を実況見分調書その一、後者を実況見分調書その二という。)、消防司令補佐々木轟能進作成の現場見分調書謄本(以下佐々木見分調書という。)、被告人甲斐の検察官に対する昭和五〇年二月二一日付供述調書、同大下の検察官に対する供述調書によれば、旧館五階出入口は、間口約〇・七一メートル、奥行約〇・八メートルのコンクリート敷で、東西の壁面にはベニヤ板が張られ、コンクリート敷の南側には幅約一四・五センチメートルの戸受けの幅木を経て内開きの木製ドアが設けられていたものであり、右コンクリート床面には一面にじゆうたんが敷きつめられていたこと、本件火災当日の午前中、大森病院運転手蛯名良助、レントゲン技師井嶋潤、事務長大矢幸二の三名が、それまで仮設外階段踊場に置かれていた書籍、ノートなどを詰めた段ボール箱を右出入口内に移し変える作業を行い、七、八個の段ボール箱を二列に並べ、出入口の東側壁面と南側幅木に接着させるようにして三、四段の高さに積み上げたこと、午後二時四〇分ころ仮設階段のアングルにさし渡した足場上で前示ライトゲージの溶断作業をしていた被告人大下は、右出入口から白い煙が出ているのを発見して、付近にいた被告人甲斐にその旨を知らせ、同甲斐が外側の仮設階段から出入口内をのぞき込んだところ、段ボール箱の奥の方から炎が出ているのを認めて火災の発生を知り、直ちに旧館二階にあつた岡崎工業株式会社(大森病院増改築工事請負人)の作業員事務所に通報し、下請けの有限会社岡野工業現場監督唐沢孝之、右岡崎工業現場監督北村壽宏、被告人大下らが外側から消火器を用いて消火作業を行つたが、消火するに至らなかつたこと、その際右唐沢、北村は、段ボール箱の左奥すなわち出入口の東南隅から炎が上つているのを目撃していること、鎮火後の状況は、幅木の二枚の当て板がいずれも内側から焼け始めていたほか、その二枚とも東端が燃え切れていて同部分の燃焼度が最も激しかつたことが認められ、これらに加えて、幅木の溝状部分は木質であつて着火しにくいのに対し、床上にはじゆうたんがあつて着火しやすい状況にあつた事情を併せ考えると、本件火災は旧館五階出入口の東南隅床上付近から出火したものと認定することができ(段ボール箱は出入口の東側合板壁面と幅木に接着するように積み上げられていたとしても、それぞれその間に若干のすき間があつたと認められる。)、原判決に事実誤認はないというべきであるから、所論は採用することができない。

二  所論は、被告人らが午後一時一〇分ころから午後二時四〇分ころの間に行なつたフツクボルト及びライトゲージの溶断作業から生じた溶断火花が五階出入口内に多数飛来して出火場所にも落下したとの原判決の認定には事実の誤認があると主張するが、関係証拠を総合して検討すると、この点に関する原判決の認定にも事実誤認はないものと認められる。すなわち、

1  証人椿本政子に対する原審裁判所の尋問調書、原審第一四回公判調書中の証人唐沢孝之の供述記載、原審裁判所の検証調書によれば、病院入院者椿本政子が本件火災当日の午後二時三〇分ころ仮設階段の東南下方にある旧館三階屋上物干場に洗濯物を干そうとしたところ、被告人らが溶断作業をしていた仮設階段上部から多数の溶断火花が飛散し、中には右物干場付近にまで落下するものもあつたので、同女はこわいとの感じを抱き、また前示岡野工業現場監督唐沢孝之が午後二時ころ仮設階段の西下方にある旧館一階から三階に通じる外側非常階段を三階まで上つて行く途中、溶断火花が落下して来るのに気付き、部下の作業員に「火花が落ちて来ていて危いじやないか。」と注意したことが認められ、以上により少なくとも午後二時ころから午後二時三〇分ころにかけて、多数の溶断火花が付近に飛散落下していたことは明らかである。

2  被告人甲斐の検察官に対する供述調書(昭和五〇年二月二一日付)によれば、「午前中の溶断作業の際、特に六階入口手前の鉄骨手摺の支柱やその手摺の六階入口の木の柱とのとりつけ部分を溶断するときには、溶断火花がその直下の五階踊場や五階出入口付近に飛び散つたことは事実であるが、午後のライトゲージをアングルから取り外す作業の際には、火花は五階出入口付近には飛ばなかつた筈である。」との記載があるが、他方同大下の検察官に対する供述調書(同月同日付)によれば、「午後の作業も溶断火花が五階踊場や出入口に飛ばないように注意しながらやつたが、どうしても火花が五階踊場や出入口付近に飛んで行くのを全く防ぐということはできず、火花はその方にも飛び散つた。」との記載があり、右被告人大下の供述部分は、それが焼死者も出ている重大な失火責任を問われている者の供述で、しかも本件火災後約一年四か月経ているにもかかわらず、なお自らに不利益な事実を述べていることに照らして、十分信用に値するものであり、これによつて溶断火花が現に五階出入口付近に飛来している事実を認めることができる(なお同被告人が原審第一八回公判においても、最終的には否定しているものの、一旦は、仮設階段のトタン屋根を支持しているフツクボルトを取り外した際に溶断火花が五階出入口前の踊場上に落下した旨の供述をしていることもまた、フツクボルト取り外しの溶断作業の際に予想される姿勢や角度等とともに前記認定を補強するに足りる。)。

3  原審第七回公判調書中の証人大矢幸二、証人井嶋潤、同第一五回公判調書中の証人原すみ子、証人蛯名良助の各供述記載、証人蛯名良助に対する原審裁判所の尋問調書、前示実況見分調書その二(特に添付写真三八ないし四一番)及び佐々木見分調書(特に添付写真一九、二〇番)、警視庁科学検査所主事大芝賢三作成の鑑定書、押収してあるスタイロホーム破片三袋(原審昭和五〇年押第一二七三号の一三)によれば、当日の午前中に前叙のとおり病院運転手蛯名良助ほか二名が書籍、ノートなどを詰めた段ボール箱七、八個を五階出入口内に積み上げる作業を行つた際、右蛯名が高さ一八〇センチメートル、幅六〇センチメートル、厚さ二・五センチメートル規格の真新しいスタイロホーム二枚を重ねて段ボール箱の北側に立てかけたこと、右スタイロホームのうち外側に立てかけたと認められるものの表面全般に、大小多数の溶断火花による貫通又は盲貫孔状の溶融痕(焼け穴)があり、その一部の盲貫孔の奥に鉄屑が残留していることが認められ、以上から溶断火花が五階出入口内に飛び込むような状況で出入口付近に飛来したことが推認され、さらに右出入口の高さが約二・〇三メートル、スタイロホームのそれが約一・八メートルであつて、その間に少なくとも二三センチメートル幅の空間(出入口とその前の仮設階段踊場とでは段差があつて証拠上正確な数値は示しえないものの仮設階段のほうが約二〇センチメートル低くなつていたことが明らかであるところ、所論は、若しスタイロホームが立てかけられていたものとすれば仮設階段の上から立てかけたものと考えざるを得ないと主張し、この点は証拠上必ずしも明瞭ではないが、出入口内の段ボール箱は床上の東側のほぼ全面を占めるように積み重ねられていたのであるから、スタイロホームは所論主張のように仮設階段の上に下端を置いて立てかけられていた可能性がかなり強く、そうとすると出入口とスタイロホームとのすき間の幅は二三センチメートルよりもさらに多い四〇数センチメートルとなる。)があり、また出入口の間口が約七一センチメートル、スタイロホームの幅が約六〇センチメートルであつて、二枚のスタイロホームが上下正しく重ねられていたか否か必ずしも明瞭でないものの、その間にもなにがしかのすき間があつたと解せられ、溶断火花はこれらのすき間を通つて上側のスタイロホームに溶融痕を作つたと類似の角度をもつて出入口内に飛び込んでいつたものと推認することができる。所論は、右のスタイロホーム立てかけの事実を極力争い、前示関係者の証言はあやふやであり、かえつて最初に本件火災を発見した被告人甲斐の供述や消火活動に当たつた前示岡野工業現場監督唐沢孝之、岡崎工業現場監督北村壽宏の各証言などにより右事実は否定されるべきであると主張するが、前示蛯名の証言は決してあやふやなものでなく、同人においてスタイロホームを立てかけたことを明言しており、これは、病院長徳山代之方の家事手伝をしていた前示原の証言によつても裏付けられるほか、原審第五回公判調書中の証人石橋昭二の供述記載、五階出入口直前の仮設階段踊場の状況を撮影した実況見分調書その一添付の写真一八番(鎮火直後の写真)佐々木見分調書添付の写真一八番及び原審第一九回公判において取調べられたカラー写真(1)ないし(3)などによれば、本件火災鎮火後の五階出入口直前の仮設階段踊場には、消火作業の際出入口内から引き出されたものと認められる段ボール箱の破片、書籍、それらの燃え残りなどが足の踏み場もないほどに散乱していたが、押収してあるスタイロホームの破片は、火災発生翌日の実況見分の際、警視庁大森警察署捜査員石橋昭二らがその大部分を右踊場の段ボール片、書籍などの堆積物の中から、あるいは堆積物の下から発見したものであることが認められ、このようにスタイロホーム片の大部分が出入口前の仮設階段踊場に落ちていた事実その他次に述べる事情などとも符合することにかんがみて、前示蛯名の証言は十分信用するに値し、これに反する所論指摘の各証拠はにわかに採用することができない。所論(当審における最終弁論を含む。)はまた、(一)、若しスタイロホームが立てかけられていたものとすれば、前叙のとおり仮設階段の上から立てかけたというべきであり、その場合には仮設階段と段ボール箱との間に落差を持つて若干の間隔が生ずるので、スタイロホームを垂直ではなく、ある程度傾斜を持たせて立てかけたと認めるべきところ、被告人らが当日午後に行つた溶断作業箇所と五階出入口の位置との相関関係及び右溶断作業の内容からみて、溶断作業より生じた一次火花が直接スタイロホームの上縁部に落下するということはあり得ず、またその一次火花が途中何かにぶつかつて生ずる二次火花はほぼ半円あるいは放物線に類似した軌道を描いて飛散するに過ぎないから、物理的にいつてこの二次火花がスタイロホームの上縁部に落下するということも不可能であるのに、実際にはその上縁部にほぼ垂直の角度で多数の焼け穴が見られ、(二) 同様に若しスタイロホームが立てかけられていたものとすれば、出入口の幅とスタイロホームのそれとの差からそこにすき間が生ずるので、スタイロホームの側面部にも焼け穴が存在して当然であるのに、実際には全く焼け穴が見られず、以上の二点から結局スタイロホーム立てかけの事実は否定すべきであると主張し、当審証人中西實は、第七回公判において、焼け穴の右のような状況から考えてスタイロホームは横に倒されていたもので、そこに二次火花が水平に飛来してスタイロホームの上縁部に垂直な焼け穴を残したとの推測が可能である旨の供述をしている。しかしながら、多数の破片の継ぎ合せによつて復元されたスタイロホームの状況を写した実況見分調書その二添付写真三八、三九番、押収してあるスタイロホーム破片三袋によれば、二枚のスタイロホームの破損状況は酷似していることが認められ、これからみて両者は重ねられた状態で何らかの圧力を受け同時に破損するに至つたものと推認されるところ、このうちの一枚の平面に前叙のとおり大小多数の溶断火花による溶融痕が見られるほか、他の一枚の平面にも若干ではあるが同様の溶融痕が認められるのであり、若し二枚重ねのスタイロホームが初めから横倒しにされていたものとすれば、両者ともその平面に溶断火花を受けるなどということは考えられないから、スタイロホーム横倒しの可能性は否定すべきであり、むしろ右の状況は、スタイロホームを立てかけた旨の前示蛯名証言とよく合致するものということができる(溶融痕の数が多いスタイロホームを外側に、それの少ないスタイロホームを内側にして立てかけたもので、内側のスタイロホームに見られる溶融痕は、五階出入口内に飛び込み段ボール箱や壁面などに当たつて跳ね返つた溶断火花により生じたものと考えられる。)。次に、二枚のスタイロホームの各上縁部にも多数の溶断火花による溶融痕が存することは所論(一)指摘のとおりであるところ、それらが上縁平面に対しほぼ垂直状の孔をなしているとまでは断定できないものの、一応それを前提にして右所論について検討するに、所論は、被告人らの当日午後の溶断作業を念頭に置いて溶断火花がスタイロホームの上縁部に落下することはあり得ないというが、これは被告人らの午前中における溶断作業を看過した主張であつて採用するに由なく、前引用の被告人甲斐の検察官に対する昭和五〇年二月二一日付供述調書の記載からも明らかなように、被告人らは当日午前中五階出入口の真上に当たる六階入口付近において鉄製手すりを取り外す作業をしているのであるから、その際に生じた溶断火花が直下の五階出入口付近に飛来し、そのうちのあるものが同出入口北側に立てかけてあつたスタイロホームの上縁部に落下したと考えるのが相当であり、なおスタイロホームが若干の傾斜を持つて立てかけられていたとしても、その傾斜角度及び溶断火花の飛来軌道のいかんによりスタイロホームの上縁平面にほぼ垂直状の孔を残すこともあり得るというべきである。次に、スタイロホームの側面に溶断火花による溶融痕が全くないのは不自然である旨の所論(二)について検討すると、若し立てかけられているスタイロホームの左右からも溶断火花が飛来したものと想定すれば、所論のような疑問が生ずるであろうが、被告人らの溶断作業場所とスタイロホーム立てかけ場所との位置関係からみて、そのように想定すべき必然性はなく、むしろ押収してあるスタイロホーム破片の平面部に存する貫通孔は、平面に対し極くわずかなずれはあるものの、ほぼ直角状をなしていることが認められるから、溶断火花はスタイロホームのほぼ正面から飛来したもので、したがつて側面部にその痕跡が残らなかつたと考えることが十分可能であるから、所論は採用するに由ないものというべきである。

4  原審第六回公判調書中の証人佐々木轟能進、同第九回公判調書中の証人田村嘉久の各供述記載、前示実況見分調書その二及び佐々木見分調書、警視庁科学検査所主事宮野豊作成の鑑定書、押収してある溶断くず鉄(原審昭和五〇年押第一二七三号の一ないし四)によれば、本件火災翌日の実況見分に際し、警視庁所属の田村嘉久ら捜査員が磁石を使うなどして溶断鉄屑の採取活動を行い、その結果五階出入口内及び前示幅木の溝状部分から現に多数の溶断鉄屑を発見してこれらを採取したこと、このうち幅木の溝状部分から最大のもので直径二ミリメートル、その他は直径一・二ミリメートル又はそれ以下の球形溶断鉄屑多数(重量合計約〇・〇八グラム)が発見され、出入口内においては、北側部分のじゆうたんの上から不整形の溶断鉄屑一個(重量約〇・〇八一グラム)、段ボール箱が置かれていた箇所から直径一・五ミリメートル又はそれ以下の球形溶断鉄屑多数(重量合計約〇・〇二七グラム)、段ボール箱西側のじゆうたんの上から微細な球形等の溶断鉄屑多数(重量合計約〇・〇六グラム)が発見されたことが認められる。ところで所論は、佐々木見分調書には「南北の当て板にはさまれた溝状内や北側の当て板北床付近の焼き片中に磁石を入れ」溶断鉄屑を採取した旨の記載があり、原判決が出火地点と認定した出入口内東南隅の床上をも捜査したかのようになつているが、実際に採取活動を行つた田村嘉久の証言によれば、そのような事実は全くなかつたことが明らかであると主張する。しかしながら、被告人らの溶断作業から生じた溶断火花が本件火災の原因ではないかと疑い、その溶断鉄屑の採取を目的にして捜査活動を行つている者が、狭い出入口内のある箇所について採取活動をしないなどということは到底考えられないのみならず、右田村の証言も、表現に適切さを欠く部分があるものの、これを全体的に見れば、段ボール箱が置かれていた場所すなわち出入口東南隅を含む箇所についても炭化した書籍や段ボールの中に磁石を入れるなどして隈なく採取活動を行い、その結果前叙のとおり直径一・五ミリメートル又はそれ以下の球形溶断鉄屑多数(重量合計約〇・〇二七グラム)を発見したというものであり、右証言は佐々木見分調書の記載とも一致し信用に値するから、所論を採用することはできず、以上により溶断鉄屑は出火地点にも存在したことは明らかというべきである。所論はまた、仮に五階出入口内に溶断鉄屑が存在したとしても、それらは仮設階段上などに落下していたものが関係官署の消火活動あるいは捜査時の人の出入りによつて持ち運ばれたと判断するのが合理的であると主張するが、原審第一四回公判調書中の証人唐沢孝之の供述記載によれば、消防職員は五階出入口直前の仮設階段踊場に立ち、出入口内にホースを向けて放水したことなどが認められ、したがつてその足下の踊場に落ちている溶断鉄屑が放水によつて出入口内に飛ばされたという可能性は殆んど考えられないこと、各実況見分調書によれば、実況見分等捜査開始前の出入口内及び仮設階段踊場の状況は、足の踏み場もないほどに焼け残つた書籍などが堆積散乱し、通行困難な状態にあつたことが明らかであり、これによれば本件消火活動に際し、右の仮設階段踊場から出入口内に出入りはあつたとしても、それはまず段ボール箱を右出入口内から右踊場に運び出すためであつたと認められ、その後はそれらの上を歩いて消火活動が行われたわけであつて、そのことによつて踊場にあつた溶断鉄屑が出入口内に多量に運び込まれたという状況は認められず、さらに原審第六回公判調書中の証人佐々木轟能進の供述記載などによれば、捜査員は消火活動終了後は現場保存に十分な配慮をしていたことが認められ、溶断鉄屑採取活動前に捜査員らがことさらに出入口内を歩きまわつたということも殆んど考えられないことなどを併せ考えると、所論主張の溶断鉄屑持ち込みの可能性は絶無でないとはいえても、出入口内から発見された前示溶断鉄屑の全てが外部から持ち込まれたものとは到底認められず、むしろ前叙のとおりスタイロホームの表面全般に溶断火花の出入口内への飛来を推認させる多数の溶融痕が見られることなどをも参酌すると、右溶断鉄屑の大部分は消火活動前から出入口内にあつたものと認めるのが相当であり、所論は採用することができない。

以上1ないし4の諸事情を総合すると被告人らの、溶断作業から生じた溶断火花が五階出入口内に多数飛来して出火場所にも落下したとの事実は十分認定することができる。なお所論(当審における最終弁論)は、再現実験の結果によれば、被告人らの当日午後の溶断作業によつては直径二ミリメートルもの大きさの溶断火花が五階出入口南側の幅木内に飛来し得ないことが明らかであると主張するところ、前示中西鑑定における再現実験の結果によれば、当時の状況を再現しても溶断火花が直接五階出入口内に飛び込むことはなく、最大直径〇・四六ミリメートルの二次火花が偶発的に飛び込むのみであるとされ、当裁判所が弁護人設定の状況下で実施した検証(再現実験)の結果によれば、球形又は不整形の溶断鉄屑が五階出入口と設定された場所の段ボール箱及びじゆうたんの上それに幅木内にも飛来し、その球形溶断鉄屑のうち最大のものを目測すると、中西鑑定書添付の「スラグ大きさ見本」として示されている鉄球の一・四ミリメートルのものとほぼ同じ大きさであることが認められ、被告人らの午後の溶断作業位置から旧館五階出入口内及び幅木の溝状部分に溶断火花が飛来し得たことは、これら再現実験によつて肯定されることはあつても否定されることはないといえるが、どの程度の大きさの溶断火花が飛来し得るかの点については、中西鑑定と当裁判所の検証結果との間に大差がある。ところで、被告人らは、当日午後の作業において、ライトゲージのみならず多数のフツクボルトの溶断作業も行つているのであつて、これらフツクボルトの取付け位置からみて、五階出入口の正面(北側)上方においても溶断作業が行われたことは明らかであるが、佐々木見分調書によれば、仮設階段を囲つている長方形のトタン板囲いの南北の幅は約二・三メートルであるから、右のトタン板囲いの右五階出入口正面から最も遠い北側アングル取付けのフツクボルトの溶断作業を行つた場合に生ずる溶断火花でも、最短水平距離にして約二・三メートルで五階出入口内に到達し得ると考えられるところ、消防庁消防研究所自治技官山鹿修蔵作成の鑑定書(以下山鹿鑑定という。)における再現実験の結果によれば、直径一・五ミリメートル位の二次火花は水平距離にして約三メートル、すなわち本件でいえば優に五階出入口内に到達し得る位の距離を飛んだというのである。このように同じく再現実験を行つたといいながら、中西鑑定、当裁判所の検証及び山鹿鑑定の間には、現場再現の程度、切断器具の調整及び使用方法などに由来すると思われる顕著な差異が生じており、甚だしく安定性を欠くこれら再現実験によつて前叙4の認定を左右し得ると考えることは本末転倒の謗りを免れず、したがつて所論は採用することができない。

三  所論は、溶断火花が段ボール箱、じゆうたんなどの可燃物に着火してこれらを燃焼させたとの原判決の認定には事実の誤認があると主張するが、溶断火花が現に五階出入口内に飛来していること、同出入口内に可燃物があつたこと、現に同所から火災が発生していること、後に述べるように他の火災原因は全く認め得ないことなどの諸点を総合すれば、溶断火花が何らかの可燃物に着火してこれを燃焼させた旨の認定は十分に可能であり、さらに山鹿鑑定をも併せ考えると、溶断火花はじゆうたんに着火し、その火が段ボール箱に燃え移つたものと認められるから、原判決に重大な事実誤認はないというべきである。

1  山鹿鑑定によれば、段ボール箱に直接着火するためには直径二・五ミリメートル以上の溶断火花が必要であると認められるが、前叙のとおり出火地点付近から発見された溶断鉄屑は直径一・五ミリメートル又はそれ以下の球形状のものであつて右程度の大きさに達しておらず(幅木の溝状部分から発見された直径二ミリメートルの球形溶断鉄屑についても同様である。)、また出入口北側部分のじゆうたんの上から発見された不整形の溶断鉄屑(重量約〇・〇八一グラム)は、右の要件に合致するとしても出火地点から離れ過ぎているので考慮の対象から除外すべきであり、したがつて溶断火花が原判決のいう段ボール箱に直接着火したとの認定はできないと解せられる。

2  しかし、山鹿鑑定及び当審第五、第九、第一〇回各公判調書中の証人山鹿修蔵の供述記載によれば、同人が一般に市販されている綿一〇〇パーセントで毛足の長さ一・五センチメートルの玄関用じゆうたん(敷島紡績株式会社製品)を使用して溶断火花による着火実験を行つたところ、直径一・五ミリメートルの湯玉(二次火花)一個によつて右じゆうたんに着火した場合があること、同じゆうたんの一辺に沿つて合板壁を立て、その横の一辺に模擬幅木を置き、この合板壁及び幅木に接着するように(ただしわずかなすき間はある。)段ボール箱一個を置くなどして旧館五階出入口内の本件火災当時の状況を再現したうえ燃焼過程の実験を行つたところ、まず湯玉によつて幅木に接する部分のじゆうたんに着火して燃え出し、それが段ボール箱の方へ延燃して行つて段ボール箱の垂直面に着炎した場合や、湯玉によつて段ボール箱と幅木と合板壁の接点部分のじゆうたんに着火し、その火が段ボール箱の垂直面に着炎した場合もあることが認められる。所論(当審における最終弁論)は、右山鹿鑑定の証明力を争い、右実験で使用された段ボール箱は原審押収の段ボール箱と同一規格のものでないと主張するが、右山鹿は、これと同一規格のものが入手できなかつたので他のものを用いたが、材質は殆んど同じと思われるものである旨証言しており、そこに有意義な差異があると認められないほか、右実験過程は溶断火花が直接段ボール箱に着火するか否かを問題にするものではないことなどを併せ考えると、右の点は特に異とするに足りない。また所論(前同)は、山鹿鑑定が着火物であると断定したじゆうたんが旧館五階出入口内に敷かれていたじゆうたんと同質のものであることの証明がないと主張するところ、確かに現物が証拠として存在しないので、その証明はなされていないといわざるを得ないものの、あるじゆうたんが着火しても瞬時に消えてしまう材質のものか炎を上げながら燃え広がる材質のものであるかは、段ボール箱に対する着火能力の点で重要な意味を持つと解されるところ、原審第六回公判調書中の証人佐々木轟能進の供述記載、実況見分調書その二添付写真二四番によると、五階出入口内のじゆうたんには、出火地点付近においてある程度の広がりを持つて燃焼したことを示す痕跡が残つており、山鹿鑑定で用いられたじゆうたんは、少なくともこの点では同性質のものといえるほか、両者はいずれも一般市販のもので、その他の点においても類似性を有することは明らかであり、このように少なくとも類似しているといえるじゆうたんが直径一・五ミリメートルの二次火花によつて着火し得ることを明らかにした山鹿鑑定は、それ単独では溶断火花が本件火災原因であることを厳密に証明するに足りないとしても、前叙の客観的諸事実からする総合認定を支持するのには十分役立ち、それが無意味であるとはいえない。その他所論(前同)が山鹿鑑定を無価値とする種々の理由をし細に検討してみても、それらは採用するに由ないものと認められる。

3  前示上原鑑定によれば、本件火災現場の状況から最も火災を起しやすい条件を選び出して行つた実験でも、本件火災が発生するためには直径四ミリメートル以上の溶断火花が絶対に必要であり、本件においてそのような大きさの溶断鉄屑は発見されていないから、溶断火花は本件火災の出火源であり得ないとされている。ところが、当審第六回公判調書中の証人上原陽一の供述記載、同人作成の「鑑定書補遺」と題する書面によると、原判決により実験方法に欠陥があると指摘された点に配慮しつつ最も着火しやすい条件下で再実験を行つたところ、本件火災が発生するためには最低直径二・六ミリメートルの溶断火花が必要であることが判明したというのであるから、最低直径四ミリメートル以上の溶断火花が必要であるとの上原鑑定の結論は、同人自らによつて否定されたものというべきである。そこで、右の鑑定書補遺(再実験)に限つて検討すると、再実験は溶断火花の代りに摂氏一三四〇度ないし一三八〇度に加熱した鋼球を使い、綿と合成繊維を素材としたダスキンの土間用マツトを媒介にして段ボール箱に着火するか否かを実験したものであるが、まず溶断火花の代りに鋼球を使用した点については、実験上希望する大きさのものを希望する地点に置くためにこれを用いたというその意図は了解できるとしても、山鹿鑑定も指摘するように溶断二次火花を用いた場合に比べて温度が低過ぎないかとの疑問が残り、溶断火花の大きさにつき一ミリとか〇・五ミリメートルという微細な差異を問題にしているときに右のような疑問を残すことは実験結果の価値にかなりの影響を与えるものといわざるを得ない。次にダスキンの土間用マツトを使用した点は、前示上原の当審証言によると、それが最も着火しやすいものであり、しかも本件火災現場にあつた土足用のじゆうたんと同質である可能性が大きいことによるというのであるが、他方右マツトに着火しても燃え広がらず、一、二秒で火が消えてしまうともいい、そうだとすると前叙の五階出入口内のじゆうたんには広がりを持つて燃焼したことを示す痕跡が残つている事実と対比して問題が残り、また原審第七回公判調書中の証人井嶋潤の供述記載によれば、右出入口には土足で入るのではなく、仮設階段踊場に履物を脱いで上つていたことが窺われ(原審第一七回公判調書中の被告人甲斐の供述記載によれば、右踊場に下駄箱が置かれていたことも認められる。なお、当審第九回公判調書中の証人榎本二治雄の供述記載は採用しない。)したがつて右出入口に敷かれていたものはより毛足のあるじゆうたんであつたと認められるから、右実験に当たり土足用マツトを選んだことにも疑問が存する。さらに鑑定書補遺には、幅木、合板壁を設けるなど本件火災現場の状況を再現し段ボール箱とのすき間に加熱鋼球を落下させる実験を行つても特異な効果は認められなかつたとの記載があるが、同補遺及び上原証言によつても、その具体的な状況が明らかでなく、特にマツトの縁は毛羽立ちあるいは垂直面を持つのでその他の部分よりも着火しやすく異なつた現象が生ずるのではないかとも考えられるのに、特異な効果は認められなかつたというのみで、マツトの縁に鋼球を落下させたかどうかも不明であり、その実験の方法、過程などに関する説明は十分には記載されていないから、以上指摘の諸点に照らし、同補遺をもつて前記山鹿鑑定を覆えすに足るものとすることはできない。

四  所論は、本件火災原因として薬物等の破裂による発火の可能性又は病院長の次女徳山之子による放火の可能性も考えられるから、原判決の溶断火花以外に火災原因となり得たものはないとの認定には事実の誤認があると主張するが、本件において所論主張の薬物発火や放火の可能性などは全くなく、原判決にこの点の事実誤認はないものと認められる。すなわち、

1  原審第一四回公判調書中の証人唐沢孝之、同第一六回公判調書中の証人北村壽宏の各供述記載、被告人大下の司法警察員に対する昭和四八年一〇月九日付供述調書(同被告人関係の証拠)によれば、右唐沢、北村及び被告人大下は、前叙のとおり消火にかけつけた際、五階出入口内の出火場所でガラスびんが割れるような音がしていたと供述し、さらに唐沢は、翌日出入口内をのぞいたところ薬品びんの破片らしいガラス片があつた旨供述しているが、その他の全証拠をし細に検討してみても、唐沢証言にいうガラス片の存在を窺わせる状況が全くないこと、右唐沢証言によつてはガラス片発見時の状況が必ずしも明瞭でないこと、原審第六回公判調書中の証人佐々木轟能進の供述記載によれば、東京消防庁大森消防署調査係であつた同人が本件火災翌日の実況見分の際、自然発火の可能性のある薬品などのびんの破片が出火場所に落ちていないか慎重に調査したが、びんの破片などなかつたことが認められること、原審第一五回公判調書中の証人原すみ子の供述記載によれば、本件火災当日のかなり前に段ボール箱に書籍などをつめる作業をしたことのある右原は、段ボール箱の中に薬品のびんなど入れたことはない旨供述し、また原審第七回公判調書中の証人大矢幸二、証人井嶋潤の各供述記載によれば、本件火災当日の午前中に段ボール箱を五階出入口内に運び入れる作業を行つた同人らは、その際出入口内には発火しやすい薬品類など一切置かれていなかつた旨供述していることなどを総合すると、被告人大下らが物音を聞いたとしてもそれが薬品びんの破裂音であつたとは到底考えられず、むしろ出火場所にそのようなびんは存在しなかつたと認定し得るから、この点の所論を採用することはできない。

2  消防司令補佐々木轟能進作成の「火災出場時における見分調書」と題する書面謄本その他関係証拠によれば、病院長の次女で高校生の徳山之子は、通学服を着たまま旧館五階子供部屋西南隅の同女らのベツドと整理だんすの間から焼死体となつて発見されているところ、所論は、右之子は当日午後〇時三〇分から同四五分の間に学校を早退し、通学距離、所要時間からみて少なくとも午後一時二〇分以前に帰宅したうえ、自殺の手段として旧館五階出入口付近に放火した疑いを否定し難い、というのである。しかしながら、原審第一〇回公判調書中の証人松尾ヲシンの供述記載、証人佐藤孝夫、同原すみ子に対する原審裁判所の各尋問調書によれば、病院長方に同居していた松尾ヲシン、同女のいとこで米国から来ていた榎本嘉代及び前示原すみ子は、遅くとも午後二時二〇分ころから五階子供部屋に在室し、原が洗濯物にアイロンをかけながら三名で雑談していたところ、午後二時四〇分ころ閉つていた出入口南側の木製ドアの上部から煙が入つて来るのに気付き、原がアイロンのスイツチを切り、皆で部屋を出て病院職員や増改築工事作業員らに火災の発生を知らせ、右通報を受けた佐藤孝夫らが右ドア前にかけつけた際にはドアの上部から二〇センチメートル位の炎が入つて来ていて、右佐藤が子供部屋にあつた洗濯物で炎を押えつけたが一向に炎が治まらないので、同人が様子を確かめようとしてドアを開けたところ、出入口内は炎で一杯であり、その炎が室内に入つて燃え広がつたことが認められ、さらに原審第一五回公判調書中の証人原すみ子の供述記載によれば、出火後旧館五階エレベーター付近において、右榎本がかばんを持つて居室内に入ろうとした前示之子を制止したことが認められ、若し右之子が放火したものとすれば、子供部屋にいる者に気付かれずに出入口南側のドアの前まで行くことはできない部屋の構造からみて、同女は松尾ら三名が子供部屋に集つてアイロンかけなどを始める前に右ドアの前まで行き、何らかの方法で出入口東南隅付近に放火し、ドアを閉めて一旦居室外へ立去り、出火後エレベーター付近に現われて榎本から室内に入らないよう制止を受け、その後子供部屋に入つてついに焼死したと考えざるを得ないが、このように、白昼にしかも甚だ異常な場所を選んで放火するなどということは、自殺を決意している者の行動として極めて不自然であること、松尾らが子供部屋に集つた午後二時二〇分ころより前に放火したのになかなか出火せず、約二〇分後の午後二時四〇分ころに至つて始めて出火したというのは、焼身自殺を決意した者の選んだ放火手段としては納得できないこと、放火したあとわざわざかばんを持つて立つているというのも不可解であること等々の諸事情を併せ考えると、右之子が自殺の手段として放火したとは到底認められない(なお、同女が外側の仮設階段を上り、被告人らが直ぐ近くで溶断作業をしているのにもかかわらず出入口内に入つて放火するというのは極めて不自然であり、また原審第一七回公判調書中の被告人甲斐の供述記載によれば、同被告人も午後の作業中五階出入口付近に人気はなかつたと供述しているから、このような方法による放火の可能性は問題にならない。)。原審第九回公判調書中の証人徳山代之の供述記載、森村学園長森村衛作成の第一東京弁護士会あての回答書から明らかなように、右之子は、前日から風邪気味で気分が勝れなかつたため学校を早退し、本件火災が発生したころ帰宅したが(帰宅までに時間がかかつている点は何らかの用事を足していたと考えることもでき、異とするに足りない。)、何かを取りに行くために榎本の制止を振り切つて子供部屋に入り、焼死するに至つたものというべきであり、したがつて之子が放火したとの事実は存在しないと認定するのが相当であり、所論がその論拠として種々主張するところをし細に検討してみても、右認定を左右するに足りず、所論は採用することができない。

3  その他本件火災が電気・ガスの事故及びたばこの火によるものである可能性は全くないことについては原判決が詳細に説示するとおりであり、本件全証拠を精査してみても、被告人らの溶断作業から生じた溶断火花以外に本件火災の原因となり得たものを見出すことはできない。

以上論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してその二分の一ずつを各被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 千葉和郎 神田忠治 中野保昭)

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